ビートたけしの車と伝説って?滑舌が悪いのは嫁の影響?

毒舌なギャグと破天荒なキャラで
大人気のビートたけしさん。

数々の伝説は今でも
語り継がれています。

キレのあるトークも、
最近は滑舌の悪さが目立ってきて
心配されていますね。

車好き垂涎のコレクションは、
目を見張るものがありますね。

お嫁さんは一体
誰なのでしょうか…?

スポンサーリンク

ビートたけし(びーとたけし)さんプロフィール

本名   北野武
生年月日 1947年1月18日 現在68歳
出身地  東京都足立区
血液型  O型
身長   168cm
オフィス北野所属

1

下町で生まれ育ってはいますが、
お母さんが大変厳格な方で、
教育熱心な方でもありました。

 

大学は明治大学の工学系の学科へ
進んだものの、やる気が出ず
授業へは出ずにフラフラしていたとか。

親の教育熱心さがかえって
苦痛にさせいたようで、
芸人を目指すように。

 

そこで浅草のストリップ劇場の
前座を学びます。

漫才ブームに乗ってストリップ劇場時代の
先輩兼子二郎さん(後のビートきよしさん)と
「ツービート」を結成。

 

結成当初はなかなか目が出ず、
スナック巡業が主でしたが、
毒舌系にシフトするとブレイクするように。

1980年頃にかの有名な
「コマネチ」が誕生しました。

 

映画監督は1989年から努め、
1997年に発表した「HANA-BI」は
ヴェネツィア国際映画祭で
金獅子賞を受賞。

映画監督北野武として
世界的に名前を広めていきました。

 

世界的巨匠となった今でも
日本のコメディアンで居続ける、
生きる伝説のような人です。

 

ビートたけしさんの伝説

芸人としても映画監督としても
まだまだ現役ですが、
現時点で語り尽くせないほどの
伝説を残していますね。

芸人ですから、
破天荒な半生を送っていても
不思議ではありませんが、
ビートたけしさんの場合は
レベルが違います。

 

伝説その1 芸人に目をかけすぎ!

若い芽は潰す。
芸能界は弱肉強食。

そんな世界であることには
間違いないのですが、
ビートたけしさんの場合は
弟子をまとめて面倒見ています。

2

 

その「たけし軍団」の1人
ラッシャー板前さんが引っ越す際に、
ビートたけしさんは
「欲しい物があるか」と尋ねます。

ラッシャー板前さんは「洗濯機が欲しい」と
正直に答えると、
後日、彼の家に洗濯板と
タライが届きます。

 

「殿(ビートたけしさん)にやられた」と
思ったラッシャー板前さんですが、
タライの下には分厚い封筒。

なんとそこには100万円と
「これでいい洗濯機買え」と
書かれた手紙が入っていたそうな。

 

ビートたけしさんなりの
引っ越し祝いなのでしょうね。

「アリtoキリギリス」が無名の頃、
たまたま店で一緒になり、
彼らの会計もさらっと払って
ビートたけしさんは帰ってしまったそうです。

 

それに気付いた「アリtoキリギリス」の2人は
慌てて店を出てビートたけしさんの車へ走り、
お礼を言うと、ビートたけしさんは
「売れたら使ってね」と返事。

売れなかった時代にビートたけしさん自身も
色々な先輩にお世話になった分、
こうして返しているようです。

 

ちなみに、芸人に対しては皆に「さん」付け
するそうです。

今田耕司さんは呼び捨てで
呼んでもらえるようになるまでに
10年かかったとか。

 

弟子からの車代は使わずに
ずっと取っておくそう。

それどころか熨斗袋ごと
神棚に飾ってあるそうです。

 

伝説その2 恩義に厚すぎ

ビートたけしさんが売れない時代は、
ポール牧さんに大変お世話に
なっていたそうです。

時代が過ぎると逆にビートたけしさんが売れ、
ポール牧さんは仕事が激減。

 

そんな中テレビで共演した時に
ビートたけしさんは「ポール牧」の
名前を乱暴ですがわざと連呼するように。

そうしてポール牧さんは
知名度が再び上がるように。

 

後日一緒に飲みに行った時は、
ポール牧さんの方が飲み代、
タクシー代を払ったそうで、
そのタクシーの中で考えたのが
あの名曲「浅草キッド」です。

浅草で豪遊し、道行く人にも
お金をばらまくビートたけしさん。

 

弟子がさすがに止めに入ったら
「浅草に育ててもらったから
今返している」と言ったそうです。

朝の生放送のワイドショーで、
浅草の居酒屋が紹介された時。

スポンサーリンク

 

その店には有名人のサインが所狭しと
飾られていました。

ところが、一番目立つ部分だけがぽっかりと
空いており、リポーターが尋ねると

「ここにいつかたけちゃんの
サインを飾りたい」と店主が答えました。

 

その日の午後、その店にビートたけしさんが
ひょっこり現れ「どこにサインすればいいの?」
と言ったとか。

浅草への愛が感じられますね。

 

伝説その3 時には怖い事件も

今でも語り継がれるフライデー襲撃事件。

1986年ビートたけしさんと
交際していた女性に対して、
フライデーの記者がかなり乱暴な
聞き込み方をしたことに対し、
ビートたけしさんは怒り、
講談社へ抗議の電話。

 

さらにたけし軍団を引き連れて
フライデー編集部へ乗り込み、
傷害事件にまで発展しました。

この事件により、ビートたけしさんは
懲役六ヶ月、執行猶予2年を言い渡され、
テレビ出演も半年ほど自粛。

 

また、交際していた女性に対して
強引な取材をし、軽い怪我を負わせた
た記者は罰金刑が課せられました。

ちなみにその女性との間には
女の子が1人いるそうです。

 

友人である元プロボクサー渡嘉敷勝男さんが、
こわーい団体の方と揉め事を起こし、
事務所まで連れて行かれたことがあったそうです。

ビートたけしさんは単身事務所へ乗り込み、
渡嘉敷勝男を返してくれと頼みます。

 

怖いお兄さんたちは
「面白いことやったら許す」と
言ったのでビートたけしさんは
漫談を開始。

15分後にはすっかり打ち解けて、
渡嘉敷勝男さんと一緒に帰ったそうです。
めでたしめでたし。

 

と、有名なエピソードは1つでも伝説級です。

恐らくは表に出ないだけで
まだまだかなりの伝説があると思われます。

 

ビートたけしさんの滑舌は悪い?

ビートたけしさんの滑舌が悪いと
話題になっていますね。

元からそんなに滑舌は良い方では
ありませんでしたが、
最近は滑舌が悪いを通り越して
ろれつが回らなくなっているとも。

3

 

芸人ですから、しゃべりはまさに商売道具。

何を言っているのか分からないのは、
死活問題ではないでしょうか?

滑舌が悪いのは年齢のせい、
過去の事故の影響、
昔ながらの江戸しゃべりが原因と
色々な理由が囁かれていますが、
確実なことは分かりません。

 

現在ニュース番組の司会もしているので、
滑舌はどうにかしないと
視聴者の困惑はさらに広まって
しまうでしょう。

いるだけで存在感があるので、
滑舌が悪くなっても仕事が減るようなことは
ないとは思いますが、
やはり喋ってこその人ですので、
一刻も早い対処を望みます。

 

ビートたけしさんの車がスゴイ!

ビートたけしさんは車好きでも有名。

単なる高級車ではなく、
世界中に数えるほどしかない
ビンテージ中のビンテージや、
北野の「K」がデザインされたエンブレム、
フェラーリの馬をコマネチさせた
特殊なエンブレム
(所ジョージさんが作らせたそうです)を
輝かせています。

 

さらに独自にチューンナップした車も
数多く、そのまま博物館しても遜色のない、
車好き垂涎のコレクションを揃えているのです。

また、購入の際に厳しい審査がある
ブガッティヴェイロンも所有。

 

それだけ資産がある証拠なのです。

ちなみに普段は運転手付き
ロールスロイスで移動されているとか。

 

ビートたけしさんのお嫁さんとは?

こんな派手な生活をしている
ビートたけしさんのお嫁さんは、
どんな人なのでしょうか。

ビートたけしさんのお嫁さんは、
元漫才師の松田幹子さん。(現北野幹子)

 

女子大に在学中に漫才師を目指し、
ピンアップトリオのピンアップ敦子さんに師事、
司ミキ(後に内海ミキに改名)の芸名で
司ミワさんとコンビを組み、
ミキ&ヤワで活動していました。

 

レーシングドライバーの
松田秀士さんは幹子さんの弟です。

1978年にテレビ番組のアシスタントを
していた頃にビートたけしさんと付き合うように。

 

1980年頃に結婚。
一男一女をもうけ(長女は女優の井子さん)、
1983年に正式に入籍したとか。

実はビートたけしさんは
別の女性に気があったのですが、
幹子さんの両親が婚姻届けを
勝手に出してしまったそうです。

 

当時も立派な犯罪だったのですが、
ビートたけしさんは幹子さんの親を
犯罪者にする訳にもいかず、
またビートたけしさんのお母さんも
離婚には反対していたため、
夫婦を続けたのだとか。

 

そんな夫婦ですが、お嫁さんがずっと影で
支えてきたからこそ今のビートたけしさんが
あるのでしょう。

幹子さんは現在ビートたけしさんの
収入を管理する会社の代表をしています。

スポンサーリンク

スポンサーリンク

コメントを残す

サブコンテンツ

このページの先頭へ